2009年01月27日

本屋にて

 最近気になることがある。本屋でのことだが、、、

 ちなみによく本屋に行く。本屋さえあれば、時間が空いて困ることはない。本を手にしばらくして、「あ、足痛い、腰はもっと痛い」と思い時計を見ると、3時間が過ぎていたと言うことは普通にある。だから最近行くのは、専らジュンク堂である。あそこには椅子とテーブルがある。大変親切である。

 「そうか、あんたは読書家なのか」と言われれば、だいぶ違う。読書家とは、強制消灯にもめげずに懐中電灯片手に本を読める人たちを言う。リスクは視力減退、対価としては非常に大きい。それでも読まずには寝られない人たちのことを言うのである。私にとって、寝床の本は睡眠薬以外の何ものでもない。本を開いて、10行以上読めた例がない。そんな人間を読書家とは言わない。また、読書家はもれなく図書館に行く。本一冊は安くはない。いちいち買っていてはいくらあっても足りないし、かと言って読まずにはいられない。読書家にとって図書館は、流浪の果てにたどり着いたパラダイスのようなものである。図書館は苦手だ。図書館に入ると便意を催す。きっとホンマもんの方々が作り上げた緊張感に耐えられないからに違いない(勝手な決め付けである)。
 座右の銘が「だいたいでよろし」、いい加減が服着て歩いているのが私である。辛いのである。

 「では、あんたは本が好きなのか」と言われれば、それも違う。本好きの方々は、古本屋が大好きである。古本屋は図書館以上に苦手だ。絶版モノ、希少モノ、好きな作家の全集を格安で手にした時の喜びは理解できないわけではない。であっても、数多の中からこの一冊を見つけ出す作業が果てしなく面倒なのである。あるかどうかは運次第、いつ入るかわからない、と言ったギャンブル性はちょっと困る。本好きとは、砂鉄の中から金を見つけ出す作業を厭わない方々のことを言うのである。
 手を伸ばしたところにリモコンがなければテレビを見るのを諦める、救いがたい横着者が私である。しんどいのである。

 私は新刊書店が好きなのである。新書、文庫、作家別、分野別etc、常に欠けることなく整然とカテゴライズされた様は、頼りがいのある学級委員長と言った佇まいで実に素敵である。

 そう言えば、気になったことである。最近、温泉地、旅館を特集した雑誌が減少しているような気がしてならない。専門誌のことではない。市場形成の窓口として存在しうる雑誌のことである。それら紙上での特集記事が、体感として明らかに減少している気がしてならないのだ。
 好ましくないことではあるが、理由は分からないではない。一つのブームの終焉か、または新しいステージへの転換点として捉えるべきか。「本」一つとっても、切り口は多様である。裏を返せば、切られ方も様々だと言うことだ。切られれば当然痛い。痛いのは嫌いだ。しかし、痛みを経験しなければたどり着けない世界も厳然としてある。



Posted by 作並 at 04:23

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本屋にて